
谷村 大輔
『伴創舎(BANSOSHA)』代表
1963年東京生まれ
早稲田大学高等学院 卒業
早稲田大学理工学部電気工学科 卒業
保有資格等
・第3種電気主任技術者
・ITコーディネータ
・VEL(Value Engineering Leader)
・TOEIC®IP 945点
・日商簿記3級
スキル・経験
経営
 ・会社経営
 ・経営戦略策定・実行管理
製品開発/電子回路設計
 ・製品開発のプロジェクトマネジメント
 ・製品設計(電子測定器/信号発生器)
   電子回路設計
     アナログ:信号発生&測定回路(DC~数100MHz)
     デジタル:アナログと制御とのI/F回路。CPUおよびその周辺
   ソフトウェア
     C, Excel VBAほか
人財育成
 ・相談・面談手法(コーチング、傾聴・壁打ち相手)
 ・経営人財育成
 ・電子回路設計技術者育成
 ・プレゼンテーション(資料作り、話し方)
趣味
 テニス、水泳、ウクレレ、絵画鑑賞、社交ダンス
これまでのこと
小学4生の時、あることのご褒美に親に買ってもらったラジオのキットを、理屈も分からないまま組み立てたら音が出てきたときの驚きと喜び。
それから電子工作に夢中になり、いつしか回路設計を仕事にしようと思うようになっていました。
大学卒業後、横河北辰電機(現:横河電機)株式会社に入社し35年間勤務。
20代、30代は事業部で電子測定器や信号発生器を数多く設計し、製品開発をしてきました。
転機は42歳。
新事業を立ち上げを目指す部署に、自ら希望して異動させてもらいました。
そこで、新事業の中核となる製品の開発プロジェクトマネージャを拝命しました。超高速の光通信ネットワークで使われる、電気信号と光信号のインターフェース機器です。
自社のR&D部門が培ってきた先端要素技術と、事業部門が持つ製品化技術。これらを融合させるプロジェクトで、会社はこのために大きな投資をしました。
100数十名の開発人財・製造人財を社内外から集め、数百億円の建築費を投じて半導体工場兼技術棟を新設。
社運がかかったプロジェクトに大きなプレッシャーを感じつつも、夢に向かう高揚感を持ってのスタートでした。
しかし開発は、急ごしらえの体制、かつ未経験の領域への挑戦。
課題が次々と発生し、プロジェクトは3か月、半年と遅れを重ねます。
自分はと言えば、プロジェクトマネージャ、対外交渉役、さらには制御部分の回路設計もするという二足ならぬ三足の草鞋を履き、平日は深夜まで進捗把握、対外交渉、課題解決に追われ、土日に回路設計を進める日々。
焦りと成功必達の重圧の中、前に進めるために、課題解決、プロマネ、人財育成、リーダーとしてのあり方について一つひとつ試行錯誤を重ねました。
多くの助けもあり、ついには当時最先端の「RZ-DQPSK変調方式」という技術を搭載した超高速インターフェース機器を完成させ、さらに世界に先駆けてその量産化に成功しました。
光通信業界では無名だった企業が、最先端技術を引っ提げて突然現れたということで大きな話題になり、発売した装置は先進国で大都市を結ぶ基幹ファイバー網に採用されたのです。
自分としては、お世辞にもベストプロマネとは言えないパフォーマンスでしたが、この数年間、たくさんの失敗と試行を積み重ねて得た経験は、大きな財産となりました。
開発後、私は製造部門に移り、この製品の品質改善とコストダウンを進めた後、本社に戻り、共通技術部門で、全社向けの開発ガイドラインを執筆したり、知見伝承・技術伝承の実証実験を行うなど、光通信プロジェクトで感じた課題意識を、全社の開発改善につぎ込みました。
さらに、防爆などの規格認証の取得部門、開発インフラ管理部門の長を歴任。
50代に入り、上海にある工業計器の製造販売会社に社長(総経理)として2年半赴任し、コロナ禍が始まる半年前に帰国。
帰国後、早期退職し、従業員80余名の制御装置メーカに転職。経営計画策定、人財育成支援、組織マネジメントなどの分野で、これまでの経験と知識を活かし、同時に新たな学びも積みました。
そして2025年8月に独立起業し、今に至ります。
光通信プロジェクトで苦しい時の自分を支えてくださった大先輩のSさんが、最後に私にかけてくださった言葉が、常駐する問いとして自分の中にインストールされています。
「谷村は普通のサラリーマンが一生かかってもできないような経験をしたのだから、それを活かさなくてはいけないよ。」
今の自分を人、組織、そして社会のためにどう活かすか。この問いが私の行動力の源泉です。
