設計根拠の資料は誰のために作る?
製品設計では、設計結果を次工程に伝えるアウトプットがは必ず作成されます。
回路設計で言えば回路図や部品表、機械設計なら設計図や部品表、ソフト設計で言えば、基本・詳細設計書やデータベース設計書などです。
しかしその成果設計者が残すものはそれだけでは不十分です。
「なぜこの設計になったのか」
を残す設計根拠の資料も重要なアウトプットです。
後々になって類似の製品を設計をする際の参考とする場合や、トラブルシュートの時に設計の妥当性を再検討するなど、「ここは何故こうしたのか」が残っていると、本当に有り難く感じます。
もちろん、技術の伝承という意味でも設計根拠が残ることは大きな意味を持ちます。
これがあると自分以外の人がその製品の担当を引き継ぐとき、あるいは若手技術者を育てるときに、資料に繰り返し目を通すことで習得までの時間が短くなります。
設計根拠の資料を、それを必要とする人は誰かという視点で見ると、最初に書いた設計対象そのものを表すアウトプットが開発の次工程にとって必要なものであったのに対して、設計根拠を書いたものは将来の設計者、つまり自分たちのために必要なものと言えます。
書くベストタイミングは?
まず「いつ書くのか」を考えてみます。結論から先に書きますが、設計の根拠を書き残すのに最適なタイミングは設計直後です。
人間の記憶は短時間で急速に失われて行きます。
記憶したことは1時間でその1/2が、そして1日で実に3/4が忘れ去られるのだそうです。
設計時に振り絞った知恵の数々は設計結果と同じくらい貴重な財産です。それを失ってしまうのは本当にもったいないことです。
ですので、まずはその場でとにかく記録してしまいましょう。その時は忘れる前に記録することが目的なので、綺麗に整理して書かなくても大丈夫です。構成決定に向けての思考の道筋、設計値をどのように決めていったかを一気にメモします。
そして一区切りついたときにその記録を見直して、補足するなり、整理するなりすれば、それは立派な知見の蓄積となります。これも忘却曲線が下降する前に行いたいものです。
「何を?どこまで?」書くのか
何をどこまで書いたらいいのか、は悩ましい問いです。想定する読み手によって答えが変わるからです。
前提とする読み手がベテラン技術者なら、あまりこと細かに書かずに設計結果に直結する情報だけ(例えば回路定数なら、それを導いた式だけとか)を残せばほぼ伝わるでしょう。
一方で新人技術者新人向けならそれだけでは不充分で、ある程度噛み砕いた内容にしなくてはなりません。
どのレベルまで降りて書くか。降りるほどに指数関数的に分量が増え、書く気持ちが萎えてしまっては元も子もありません。
「何を?どこまで?」に答えるたった一言
それでは設計の根拠、何をどこまで書けばいいのか。
私はこの質問を受けたらいつも「五年後の自分が見返したときに思い出せるように書いてください」と答えます。
自身のことであれば何をどこまで書くかは想定しやすいでしょう。当然、書く人のレベルによって書き込みの程度は変わりますが、ブレずにとにかく書き始めることが忘却曲線の視点からも大切なのです。
「五年後の自分が見返したときに思い出せるように書くことのもう一つのメリットは、どこまで書こうかを迷わずに書き始められることです。記憶は時間と共に加速度的に薄れていくからです。どこまで書こうかと都度手を止めて考え、そのうちに、次の仕事も待ってくれないから取り敢えずそちらを少し進めてからまた書こう、などとしていると時間が過ぎてしまい、設計の、際にいろいろと考えたこともほとんど忘れてしまうでしょう。
『5年後の自分』が助かると思って『今』書き残そう
すでに述べたように記憶とは短時間でほとんどが消去されてしまうものです。
設計の最中はさまざまな調査や検討を行います。設計するブロックごとに、調べもの、計算、周辺部分との整合性など、多くの情報が頭に入っているはずです。
しかし時が経てば記憶は確実に薄れます。
「五年後の自分」を想像してみてください。自身の技術力は経験を積んでレベルアップしているでしょうが、設計の経緯はずっとその製品に関わり続けていないかぎり、ほとんど忘れてしまっているのではないでしょうか。
情報がノートにあり、PCにあったとしても、整理されておらず断片的であれば、それらを繋ぎ合わせ、設計結果へと導いた考えの筋道はやはり記憶に頼っているのです。
まず、5年後の自分、
~設計を終えた今日を限りにこの製品から離れて5年経った後の自分~
を想像して、その自分に説明するように書き出しましょう。
コメント